コラム No. 80

人のよいデザイナ 何でも引き受けてしまう人がいる。コマゴマとしたことから、戦略に関わるアイデア出しまで、相談を受けた途端に動き出す。ラフスケッチからグラフィックパーツまで作成し、Flashで試作を作って、カチッとしたドキュメントも書き上げる。 勿論本人の多才さがあるが故なんだが、それでも努力をしないで事を成している訳でないようだ。「どうして引き受けてしまったかなぁ~」のボヤキの一つや二つは微かに聞こえて来るし、目の下のクマが痛々しかったりする。 そうした才能溢れる人と仕事をすると、アイデア出しとか仕事の根源的な部分に触れる作業では大助かりだ。でも、ふと背筋に走る悪寒がある、「この人がいなくなったら大変だ」。 こうした多才な方々に共通している点の一つは、「器用貧乏」。もてる多才さをお金に換える術に長けていない。仕事を頼む側としても、何を聞いても的確な答えが即答されるので、予算をとって云々という経理処理を怠ってしまう。結果として、その人は、その提供したモノに対する対価として正当な金額を受け取っていないような気がする。 ■ 何もかもをお金に換算することは、せちがらい。が、「正当な対価」ということは誰もが考えなくてはならない話だろう。Webの中核にいる人は基本的には、お節介で世話焼きな面を持っている人が多い。だから頼られることは、そのままモティベーションになるし、喜びだ。お金に替えられないのも真実だ。 でも、その仕事を継続することを視野に入れた時、即座の親切が仇になることがある。仕事をお願いする側が気をつければ良い話かもしれないが、その人への依存症が発生する。自分で考えるよりも、頼った方が正解を手に入れられるならば、安易に流れ易い。 依存症の本人の更なる甘えに聞こえるかもしれないが、本人だけで直すことが困難なことが存在する。現在子育てをしながら感じていることでもあるが、甘やかされた子供にシャンとしないさいと言うだけでは物事の改善は難しい。甘えて来れない状況を作るのも必要だ。そしてそれは、そういった状況に気が付いた人の責任なのかもしれない。 親としての喜びは、子供が頼ってくれる部分にもあるけれど、子供が自立してくれる方が、長い目で見れば大きいと思う。どんなコラボレーションの関係であっても、長い目で見れば、互いに自立的であることが望まれるのではないか。正等対価の伴わないイビツな関係は、遅かれ早かれ問題を生じる。 ■ 例えば、仕事関係においては、予算の関係がある。親切に何を訊いても答えをくれるサービス精神は嬉しいのだが、実は予算関係の書類に名が残らないという状況を生む。予算は、タスク進捗管理等とは別の次元の管理体制で動いている。だから、予算会議に記録が残らないような仕事の仕方は、連綿と続ける気のある仕事には不利になる。 何か困ったことがあるときに、気安く質問が出来る関係。それは特に大きな会社にいる人にとって大切な「資産」である。特にRich Internet Application(RIA)系の技術では、ベンダーからの公式情報が余りに少なく、市井のボランティアBlog等の日々の精読が必須だが、それは大手SIerの人間にとって現実的な日常業務ではない。上司への報告の仕方に困るからだ。それらのサマリーを的確にアドバイスしてくれる人がいるなら、検索エンジンよりも遥かに有益である。 しかし、それに予算的な裏付けをしていない場合、大きな作業はお願いできない。その一線を越えると「奢り」の領域に入ってしまう。電話で一言で聞けるような質問ならまだしも、作りこまないとならない事柄を、ボランティアでお願いするような破廉恥な客に成り下がる。そして、そうなったら、その関係は終りだ。 一度壊れた人間関係は修復するのは大変だ。おまけに、それまでの情報パイプが断たれることは業務的な支障も生みかねない。「次何かで埋め合わせするからさぁ」等というTVドラマで聞き慣れた実行する気のない台詞は信用されない。埋め合わせの意味するものは「予算」であり、今確保できない予算を将来約束できないご時世であることは皆が知っているのだ。 ■ 頼む側の問題だけではない。予算を付けずに引き受ける仕事が増えると、必然的に自分の勉強の時間が減る。1日に24時間しかないというのが、世界中の人に与えられた唯一の平等な部分だ。そんな自己研磨していない人が頼りにできる時間は、残酷だがそう長くはない。 人は良いけれど、技術的に最先端に位置していない人は哀しい。例えば、弊社がFlashアプリケーション開発を行なう場合、どんなに見事なアニメーションが描けても協労は難しいと思う。ActionScript2で細かなデータ型定義をきっちり記述し、MVCモデルに沿ったソースコード管理が前提になる。 FlashやActionScriptについてのみの知識以外のものが要求される。Java系との連携も必要だし、データベースやXMLの話も通じないと困る。Flashという専門領域以外に共有しておきたい「基礎」がある。その基礎を共有した上で、お互いの専門領域で知恵を出し合い顧客満足度を高めたい。 それは我々が担当する仕事で、将来に渡ったシステム保証を担う部分が大きいからだ。リリースすること自体よりも、リリースした後の「責任」に重きを置いている様にさえ見える。ある程度の規模の人間が並行的にメンテナンスできるほどに、こなれていないと手は出さない。慎重すぎるとの声もなくはないが、それ故に築き上げられた信頼も大きい。そういった部分がコアビジネスになっている会社は案外多いだろう。 メンテナンスが出来ることは、一発芸では成り立たない継続性を要求する。そのためには、開発者が疲弊していては困る。しかし、慈善団体ではないので、裏打ちのない予算の確保はできない。だから正等対価として予算を確保できる理由や体制が必要だ。 ■ こうした議論の難しい点は、開発者が大らかなサービス精神を捨て、どんな質問にも「その件については検討後に改めてご返答させて頂きます」とか言い出すことだ。それは前述のとは別の「壁」を作ってしまうことになりかねない。 風通しの悪い路地裏に迷い込んだ気分がする。そして、そうした関係から新しい何かが生まれるとは感じられない。そもそもが忙しい人達が後で答えるとなると、かなりズレた時期に答えが返って来ることが多い。阿吽の呼吸どころではない。息が合わない人とは一緒に走れない。一緒に走る気力が萎える。 ■ 人材を「人財」と称して、重要性を強調する風潮は高まっている。しかし、IT業界のように技術革新の早いところで、その「価値」を「(人事)評価」にまで押し上げて考える方法論はまだ確立していない。ここ数年で見直された価値を見抜き数値の形に変換できる人事評価者も育っていない。 未だに、基本的には「人月計算(月単価幾らで開発者を丸ごと抱える方法)」で開発は見積もられているし、開発ツールの性能が上がり、オープンソースも認められるところまで来ている。それは、ますます予算が圧縮される傾向を強めていると言える。時間給だけでは成立しないギリギリの崖っぷちまで来ているとさえ見える。 人月計算以上の「付加価値」を何かで訴えるしかない状況が迫っている。それは、人のよいデザイナの長所短所も含め、新しい価値観に立ち往生している人達の長所短所も含めて、何か新しい世界を築き上げる時期にさしかかりつつあることを暗示しているように見える。 何か一部分ずつ改良していく時間の猶予もないのかもしれない。一度にまとめての変革。人のいい職人さんが、人のいいまま仕事を続けていけるのがハッピーなことには間違いないのだから。 以上。/mitsui

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