コラム No. 91

王様の耳はロバの耳

小さかった我が子達が、徐々に大きくなっていく。言葉も分からなかった子達が、親をフキダさせるようなジョークを口にする。ジョーク自体もおかしいが、そんな風になるだけの時間が経過したことが、なんだか可笑しい。

子育てをしていて、意識的にしたことがある。物語の読み聞かせ。全然上手くならなかったが、子供達は何度もリクエストしてくれた。同じ本を何度も何度も読む。妻が読むと正確に書いてある言葉通りなのだが、私が読むと少し遊ぶ。

14匹のネズミ達の話では、言葉にはないのに、「ここのミミズも頷いているよ」とかアフレコであれこれと付け足した。子供達は、どこにミミズがいるのかと探しながら、「ここのモグラも頷いているよ」等と返してくれる。
http://www.doshinsha.co.jp/longsaler/14hiki/14main.html

そして、本がなくても同じ遊びをする。気に入った台詞があれば、日常の生活の中でそのフレーズを使う。映画の台詞もよく使った。一昔前なら、毎朝登校時に「アムロ、いきまーす!」と叫んでいるような感じ。

時々、私がピンと来なくて、「それなんだっけ?」と子供達に尋ねる。どの映画かどの本なのか分からない。記憶力では既に勝てない。私が白旗を揚げているようで、子供達は少し自慢げな顔をする。ちょっとした記憶力ゲームと言葉遊び。ちょっと洒落ていて気に入っている。

更にお話を活用することもある。童話に出てくる、欲張り爺さんやゴウツク婆さんが痛い目に会う話を聞かせた後、オモチャの取り合い喧嘩をしたら、「欲張り爺さんはどうなった?」と聞く。「欲張り婆さんは大変だったなぁー」とつぶやく。喧嘩をやめろと怒るより、よほど効果がある。

猫と犬が肉を取り合っているところに狐がやって来て、ちょうど半分にしてあげると言って、微調整の合間に全部食べてしまうという話も良く使った。一つのものを取り合いになると、「パパ狐が半分に分けてあげるよ」と言う。子供達は何の話をしているのか考えて、ほぼ同時に首を振る。

語り継がれる童話や昔話には知恵が詰まっている。問題を凝縮しているので、ちょっと自分の問題を遠目に見れれば似たような状況になったりする。子供達へ話すだけでなく、自分にも当てはめて考える。

「太陽と北風」や「裸の王様」。子供に話しながら、自分が聞き入ったり、考え込んだりする。

自分のアイデアを北風のように押し付けてなかったか、太陽が暖かくコートを脱がせるように、クライアントの要求をかわすことはできなかったか。怒りの残る交渉事で、全く逆効果な方向に進もうとする「王様」に正しい姿を伝えたか。王様を裸のままにすることよりも、保身を優先しなかったか。言うべき台詞を飲み込みはしなかったか。

最近のお気に入りは、「王様の耳はロバの耳」。昔から好きな話なんだけれど、最近とみに頭の中に居座っている。何かを溜め込む過ぎてはいけない。それが、真実ならば尚のこと。

少し不調な波が続いていて、ストレスが溜まっている。どこかで、何とか吐き出さないと爆発する。主人公が王様の秘密を叫んだ「穴」、私専用の穴はどこにあるのか探している。

某会合で、プロジェクト進行の難しさを話す。自分の経験談を私の言葉で伝える。そばに居たデザイナがニコニコしながら、良くぞ言ってくれましたと頷いている。共通の苦労を理解し合えることが嬉しいのだ。「あっ、この人は分かってくれる」、という安心感。誰にも理解されない道を孤独に歩んで来た訳ではないのだという連帯感。

理解しあえても、苦労が減る訳ではない。でも重荷が少し軽くなった気がする。別に汚い言葉でののしるような愚痴大会は必要ない。どれだけ苦労しているかの不運自慢大会をしたい訳でもない。「こんなに努力しているのに、分かってもらえないんだよね」、そんな会話を交わしたいだけ。

深夜の格闘中も、ふっと息をつくと、誰かに私が起きていることを伝えたくなる。弱気になると余計そうなる。mixiで深夜残業限定のスレッドにお邪魔する。逃避だと分かっていながら、「王様の耳は…」と叫ぶ。それだけで少し気が楽になる。コメントが付くと、なんだか嬉しい。あぁ一人じゃない。

少し前、人を褒めるときの言葉にこんなのがあった、「孤立することを恐れない人だった」。そうした勇敢さの大きさが、漸く分かるようになって来た。理解されなくても、自らが正しいと思うところに突き進んで行ける勇気。

どうしても引けない場面では、この勇敢さを身にまとわなければならない。淋しがっているだけでは、道は拓けない。誰かとつながっていたいとする気持ちも大事だが、孤立を恐れない対決姿勢も忘れてはいけない。

そして、戦わざるを得ないのならば、その対決が本当に意味あるものであって欲しい。無意味に孤立する力を発するのは見っともない。だから孤立して「王様の耳は..」と叫ぶ前に、心の中で願う言葉がある。これからも変えるべきものに向き合って行きたい。

神よ、変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気を私たちにお与えください。
変えることのできないものについては、それを受け入れるだけの冷静さをお与えください。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵をお与えください。
主キリストによって、アーメン。

ニーバーの祈り

以上。/mitsui

You May Also Like

x
No Deposit Bonus